こんなタイトルをみて、頭がおかしくなったんじゃないかと思われる方もいるだろう。「野口英世」は千円札紙幣の肖像画になった細菌学の権威であり、故人である。友人であるはずがない。では、「野口英世」という同姓同名の友人がいるのかと考えた方もあろう。
話をすすめると、こういうことなのだ。「野口英世」との出会いは30年ほど前のオーストラリア、パースである。たまたま私が図書館で彼に声を掛けたことがきっかけだった。彼は3年ほど勤めたアパレルの会社を辞めて、ワーキングホリデーで来ていた。私は彼を大学の友達のパーティーに招待したり、仕事のないパースで情報交換したりしていた。
彼のすばらしい所は、人の話を真剣に聞き、実行できるところである。職がないパースで彼がほとほと困って相談に来た。私は市場に行けば、仕事が見つかるかもしれないとアドバイスした。彼は翌朝パース駅裏にある市場に出向いて仕事を得た。私はまさか実行するとは思っていなかったが、すぐにやり遂げたのである。
帰国後、彼は材木商社に就職し、5年ほどマレーシア、インドネシアへと出張を繰り返していたが、商社マンの生活に嫌気がさして、友人の学習塾を手伝うようになった。塾も軌道に乗ってきた40歳の時に、思うところがあって突然医者を目指すと言いだした。
彼は大学は文系だったにもかかわらず、数学、生物、化学をゼロから勉強して、国公立大学医学部を目指したのである。壁は厚く、合格するのに4年を要した。50歳でやっと大学を卒業して医師国家試験に合格した。
淡路島で30年ぶりに再会を果たした。現在、病理医として働いている。「野口英世」のような病理学の専門医を目指すのだそうだ。最後にタイトルを改めれば、「私の野口英世のような友人」になるだろう。
福沢諭吉は、幕末から明治への急激な変化について「一身にして二生を経る」と言った。IT革命の現代に生きる私たちも「一身にして二生を経る」ことになっている。二生目を自分の中にある可能性を探る生き方があっていい。「範」とする友人がいる。私は彼を見ていて人生を考え改めようという気になった。
Tweet